映画鑑賞会

サークルでやっている映画鑑賞会の感想アーカイブです。

セッション

ロードジャスティス A

途中までフレッチャーの努力至上主義とパワハラを認めるか否か、みたいなテーマの割とふつうの話かと思っていたので、終盤の展開では大いに驚かされた。フレッチャーのしごきに応えようとしたニーマンが人格的に破綻をきたして言葉遣いまで荒くなっていくように、生徒と教師のような関係のなかでは人間は良くも悪くも評価者に影響され、方向付けられてしまう。それだけでなく、父親、いとこ、気になる異性などそうした他者に認められたいがために、相手の要求する行動をし、相手の要求する存在に自分を当てはめようとする。血みどろになっても練習するニーマンの演奏家としての情熱が本物だとしても、彼の態度は常にどこか他動的であった。しかし最後の鬼気迫る演奏シーンでは、何かそうしたしがらみから解放され、真に自由な自己を手に入れたような強烈なカタルシスがあった。ここでひとつ考えたいのは、ニーマンはフレッチャーが気に入りそうだから逸脱的な行動をとったのかどうかという点である。ほとんど狂人と言っていいフレッチャーに辛うじて教師面をさせているのが「一握りの天才を育てる」という題目であるわけだが、本作のラストシーンはこの題目すらも超越しているように思える。自分の人生の平凡さに耐えかね、非凡な人物の非凡なエピソードを自分に採り入れようとするのは人間の性であり、それもまた他者の存在によるある種の枷であるといえよう。天才であるという属性を有する人間がいるのではなく、実際には経験的事象の積み重ねによって偶然に天才と呼ばれるようになった人間がいる、といった方が現実の認識としてより正確なのだと思う。ラストシーンでもはや教育者としての顔すらかなぐり捨てて純粋な悪意を向けてくるフレッチャーと、無敵の人と化してドラムを叩きまくるニーマンの間ではもはや社会は完全に無力化されている。この関係を何と呼んだらいいのかはよく分からないが、ある意味で対等さはあり、二者の間で交わされた満足げな笑みが非常に印象的だった。「フルメタル・ジャケット」もそうだけど「ファイト・クラブ」っぽいという感想にはなるほどと思った。

ニンチー 6点/10 物語0、主題2、演出1、映像2、音楽1

漫画の修行シーンだけを見ているような作品。 しかも、きついだけで特に結果が出るわけではない。 しかし、これこそが現実における修行である。 漫画では修行は特殊な能力や属性を獲得するための通過儀礼であるが、現実ではそんなものを存在せずどれだけ修行を積んでもただ知識と経験が積み重なって少しづつ理解と対応能力が深まっていくのみである。 これをやったから成功するとか何かができるようになるみたいな確定したものは何一つないし、それでも時間と気力を費やして修行を行わなければならない。

それではフレッチャーのパワハラが容認されるか、というとそんなことは決してない。 間違っていることと正しいことを明確に教授することが教育者としてあるべき姿であるし、実際に何人もの生徒を壊して学校からも追放されている。 ならば、彼は間違っていたかというと必ずしもそうとは言い切れないように思う。 フレッチャーの目的はあくまで音楽の天才を生み出すことであり、そのためには凡庸な生徒を犠牲にすることは厭わない。 彼自身の手段と目的は乖離しておらず、社会的に容認されないという一点を除けば彼は間違っていなかった。 これはニーマンにおいても言えることで彼のドラムへの打ち込みは常軌を逸していて、彼女を捨てたり追突を放置して血まみれで演奏会に出たり、とてもではないが社会的に容認される存在ではない。 フレッチャーにおいてもニーマンにおいても彼ら固有の欲求である天才を生み出すことあるいはなることという目的にとらわれすぎていて社会的な価値観を取り入れる気が一切ない点が問題なのである。 人間は自身の価値観と社会的な価値観の両方を併せ持ち個々のケースでうまく使い分けていくが、これにはスケール依存性があるように思う。 一般にプライベートな空間や短いタイムスケール、個人においては自身の価値観や行動を制限するものは存在せず自由であるが、公共の空間や長期的な時間、会社や国家などの人間集団においては社会的な価値観に従う必要が出てくる。 この映画においてもその点が存分に出ていて、お互いに学校から追放された二人が最後のシーンにおいてはお互いに最高の音楽を追求することが出来た。 長期的に、あるいは学校という集団においては間違っていた二人であったが、短い時間二人だけの世界においては目的が一致したのである。

以上のようにミクロとマクロという観点においてはマクロを投げ捨ててミクロを重視したような作品であったように思う。 全体的なシナリオの整合性はそこまでかみ合っていないが、個々の描写、しおれた楽譜だったり飛び散る血だったり、は非常に徹底して作りこまれていた。 自分は音楽の巧拙は全く分からないので音楽的な観点から語ることはできないが、ミクロの世界で自身を見出す話という意味では爽快で気分のいい映画だった。