映画鑑賞会

サークルでやっている映画鑑賞会の感想アーカイブです。

荒野のストレンジャー

ロードジャスティス B

西部劇らしいゆったりとした間の取り方は古めかしい画質とも相まって逆に新鮮だった。無表情なイーストウッドが住人たちの及び腰な姿勢につけ込んで無茶な要求をしていくくだりはコメディとして見ても笑えた一方で、主人公の描き方としてどうなんだろうと中盤までは思っていたが、最終的にはそこにテーマ性が出てくる展開には納得がいった。一見平和な普通の町のようでいて、実は町全体で無実の保安官を利益のために殺してそれを隠蔽している。そうした「地獄」にも似た社会の欺瞞と無責任さを暴くのがよそ者(ストレンジャー)たるイーストウッドである。ゆっくりと町に入ってくるイーストウッドを町の人々が怪訝そうに覗いているシーンはまさに社会ないし自身の内面にある矛盾を暴かれることへの恐怖を象徴しているような気がした。しかし同時に、破滅してでもそうした矛盾をさらけ出して誠実に生きたいと考えるのもまた人間の性であり、宿屋のおばさんの描写はそうした心性を表しているように見える。「町にふらりと現れたガンマンが、悪党を撃ち殺して終わり」という西部劇の構造を踏襲しながらも、単なる勧善懲悪とは全く異なるテーマ性を叩き込んでくるところにイーストウッドの作家性が表れているような気がする。普段印象的な演出や心情の暗喩を使ってテーマを表現する作品ばかり観ているが、そんなに凝った演出をせず古典的な(?)表現だけでもテーマ性を込めることは可能なんだな~というところに何か逆に真新しい驚きがあった。

ニンチー 7点/10 物語1、主題2、演出1、映像2、音楽1

おそらく既存の西部劇の構造を利用したであろう超自然的な作品。 いわゆる西部劇(見たことないので推測)では街に現れた無頼者の主人公が悪者を倒しヒロインを救うというような善と悪のはっきりした分かりやすいストーリーが典型的であると思うが、本作は一味違う。 開始まもなく街に現れたクリントイーストウッド扮する主人公はいきなり無銭飲食、殺人、強姦とやりたい放題ぶちまける。 この時点で度肝を抜かれるが、意外にもそれらの蛮行に対して街の人々は腫れ物に触るように遠巻きに眺めるのみであり命令されればおとなしく従う。 いきなりの期待を裏切るような展開に違和感が先立つが、この違和感の正体はのちに明かされる。 実は、街の人々は金鉱の採掘権を不当に保持するためにかつての保安官を殺害を計画し、その現場を見て見ぬふりをしていた。 そのため、街の人々は保安官を見殺しにしたことによる罪悪感と主人公の腕っぷしの強さから不当な扱いを甘んじて受け入れていたのである。

この映画における主人公は一人の登場人物としてではなく、怨霊や自然の摂理のような存在として登場する。 彼の行いは街の人々に負けるとも劣らぬ人道から外れたものだが、この映画の場合は彼の蛮行をもって街の人々と比較して評価することはできない。 彼はある種舞台装置のようなもので、町の人々の保安官殺害に加担した罪悪感や条理を願う心が具現化した存在であると考えたほうが良い。 主人公が市長と保安官の地位を街で最も蔑まれている男に与えるシーンがあるが、人の善悪を越えた存在の前では人は皆同じであると社会的地位を嘲笑っているようである。 彼らは元々内在的に善良でありたいという意識と自らの行いという矛盾した心の歪みのようなものを抱えていて、外部の存在によってそれらが噴出したに過ぎない。 最後は主人公が殺害された元保安官の彷徨える魂であったような示唆があって終わるが、このような超自然的な存在によって自らの抱える問題に向き合う作品と言えば「ブギーポップシリーズ」や「むこうぶち」が思い出される。 いずれにせよ表層的な物事の顛末や善悪を描いているのでなく、人間性や心情の変遷を描いている点を個人的には評価したい。

映像的にはカラッと晴れたアメリカの荒野と赤く塗られた街の景色が、主人公の復讐によって傷つき、それと同時に罰を受けたことによって安堵している心の情景のようで非常に気持ちがよかった。 全体的に間延びしたようなゆったりとした尺の取り方が多かったが、退屈を感じることなく鑑賞できた点はよかった。 復讐劇と言ってよいか勧善懲悪と言ってよいか難しい作品ではあるが、最後には正しい地点に落ち着いた感覚があり、爽快で良い映画だったと思う。

よいこ 5/10

冒頭に流れ者が絡んできた3人を撃ち殺し、町娘を犯すことで、流れ者が善人ではないことが印象付けられた。 ラーゴにはよそ者を嫌う悪習があった。 宿屋の夫人は流れ者の正体に気付くとともに町の悪習に嫌気がさし、待ちを出ていくことを決意する。 一方、町娘は町の悪習に加担しているので、夫人と町娘の対照的な人物像がある。 最後に流れ者の正体がわかってすっきりできた。

ザリガニ